番組制作が終わる頃には音楽の方が忙しくなってきた。自分のプロジェクトとしてのBrain Weatherの方も今は無きライブハウス、ブルージャムで初ライブを行うことにした。基本的には、カラオケにギターだけでやる。
そうなると、どうもビジュアル的に面白くない。その頃東京のインクスティックで見たホルガー・ヒラーのライブに触発され、映像を使うことを思いついた。
当時、アマチュア・ミュージシャンで映像を使ったライブをやっている奴は周りに居なかった。
当時の非力なコンピューターでワイヤーフレームの簡単なCGを作り、実写と組み合わせてこれまた簡単なビデオを編集して、演奏のバックにプロジェクターで流した。
その映像と音をリンクさせるために演奏のオケはVHSビデオの音声出力をイコライジングしてそのまま使う。このライブにはテレビ業界関連の友人が多数見に来てくれた。
しばらくして、有機生命体というバンドを結成するに至った。この時期は、全国ツアーして遊んだり、色んな事をする。しかし、あまりに色んな事やりすぎてあまり覚えていない。それにこの件を話しだすとまた長くなるので、今回は割愛。
そうこうしているうちに、実家の写真屋で写真の加工をするためにMACを買うことにした。このMAC(Power Mac 8100 Qardra)からまたもや思わぬ事態へと展開して行く。
それまでNECのPC8801を仕事で使っていた。大学生の時に初めて購入したNECのPC-6001から経理の仕事をLotus123でやろうと思って乗り換えた。
当時のPCはDOSで動いていて、私自身もLoutusやアシストカルクを使うだけで、コンピューターそのものには詳しくなかった。Basic言語は大学時代にゲームを作くり、コンテストに入賞した経験もあったが、まだまだ、のめり込むほどではなかった。
音楽製作にはMSXを使っていた。YAMAHAから発売されたMSXというコンピューターにはMIDIインターフェースとFM音源が内蔵されていて、それら使ってCMソングを作っていたのだ。
その中で手に入れたMac・・・もう、衝撃的だった。
とにかくGUIの仕組みが面白い。OS自体でこれほど遊べるコンピューターは知らなかった。その前に、音楽用にATARIのコンピューターを購入 していたが、そいつのCPUが同じPowerPCで、Macのようなインターフェースだったため、程なく慣れた。
勿論この時期から音楽制作もMacに乗り換えた。最初はCubase後にLogicがメインシーケンサー。
寝る間を惜しんでMacと戯れているうち、どんどん、理解が進む。とにかく全ての機能拡張の仕様を暗記して、大抵の事ならトラブルシュートも可能となってきた。
そうして、印刷会社や病院からMacのメンテナンスを頼まれることになった。その当時、Mac利用者自体が少ない状況で、それをメンテナンスできる人物など田舎には殆ど居なかった。そこで、Macのメンテナンスを写真屋の一部門として立ち上げた。
メンテナンス業務を始めるきっかけは、ある日、写真のお客としてやってきた歯科医の先生である。
現在でもメンテナンスの仕事が続いている吉永歯科の吉永先生がいらっしゃった時の会話。受付の奥にMacがあるのを見た先生が言った。
「君、Mac使ってるんだね。Macとか詳しいの?」
「そうですね。大抵のことなら何とかなりますよ」
「お、今病院のシステムでマック使ってるけどさ、おれ、全然わかんないんだよな」
医療機関ではその時代、Macを使っている場合が多かった。
「そうですか・・・もし困ったことがあれば連絡ください」
「そうか、イヤ実はうちの病院にも詳しい奴が居なくて、困ってるんだよね。今度見に来てよ」
早速数日後、出かけることにした。まず、現場に出向き状況を確認するわけだが、この「出向く」という行為が重要だ。電話で症状などを聞いてもあまり意味が無い。まず、現場に行き、実際の担当者と話すということで、コミュニケーションを作っていく。その上で問題を解決する。