出番が終わって、一人帰る道すがら”我ながら下らない事やってるなぁ”と自分を笑った。それと同時に”よくやった”とも思った。元々自意識過剰で人前に出るのが極端に苦手、修学旅行のバスの中で歌う順番が回ってきても、頑として歌わなかった。
人前で歌うなんてありえない。そんな子どもであったのに、今やテレビに出て下らない歌を自ら歌う事ができている。失敗して人に笑われるのではなく、自ら笑いを獲りに行くことが出来る。これは自分の中で随分変わったと思える瞬間だった。”これでいい。これで怖いものが一つなくなった”そう思いながら、満足して帰宅した。自分の中では、これが一つの終わりだった。
しかし、この出演がきっかけとなり、後日プロデューサーの竹崎さんから電話がかかってくる。
「浅川君。君放送に興味あるんだろ?テレビ番組の制作ブレインで手伝ってくれない?」
この時点では、放送業界に入るとか全く考えていかった。だから、限定した形で、参加させていただけるのなら喜んでお手伝いしますという返事をした。それが、最初の本業以外の副業の始まりだ。
翌日から週一の製作会議に参加して番組の企画をすることとなった。
ローカル番組の製作会議では、様々な企画を考え、その幾つかは採用された、基本的に企画のみで組立はディレクターが引き継いで進行していた。例えばこんな企画である。
「熊本弁公開講座」
イメージは中州産業大学のタモリみたいな教授役が出てきて、熊本弁を解説するのだ。後ろには黒板、前には出演者が机に座り講義が始る。
「今日は『あたじゃー』の使い方を勉強します。それでは、私の後について復唱してください。『あたじゃー文句ばいうな』はい!」
「あたじゃー文句ばいうな!!」
という具合だ。
それら企画だけではなく、出演もしていた。
『データ』君と言う役で、色んなランキングのパソコンオペレータである。基本的に言葉はしゃべらない。黒ぶちメガネに七三分け。まあ、下らないといえば下らないアイディアだが、自分では結構気に入っていた。
そうこうして半年ほど遊んでいるある日、企画会議が終わった雑談中、竹崎さんが私に言った。