私たちは日々、様々な人間関係の中で生きている。そして、そこには尽きることのない悩みがつきものだ。先日、ある友人から電話越しに寄せられたのも、そんな人間関係にまつわる深刻な相談だった。一通り話を聞いた後、私はふと、あるユニークな視点を提案してみた。それは、目の前の問題をロールプレイングゲームに例え、クリアするための「戦略」を立ててみてはどうか、というものだった。
深刻な悩みに対して「ゲーム」という言葉を使うのは、不謹かもしれない。しかし、渦中にある問題をあえてゲームとして捉え直すこと、つまり「ゲーム化(ゲーミフィケーション)」の発想は、私たちが失いがちな「客観性」を取り戻すための有効な手段となり得る。人生もまた、様々なクエストや障害を乗り越えながら、理想の自分というゴールを目指す壮大なゲームと捉えることができるのではないだろうか。
悩みのほとんどは、それを客観視できなくなることから深刻化する。「あの時こう言われた」「こんな態度を取られた」と、特定の場面や感情に囚われ、思考が堂々巡りを始める。しかし、一度プレイヤーとして盤上を見渡すように状況を捉えられれば、「こう動けばどうなるか?」「この障害を乗り越えるために、どのスキルを磨くべきか?」といった、建設的で実践的な戦略を練る思考へと切り替えることができる。
ここで重要なのは、私たちが「問題だ」と認識している事柄が、果たして本当に取り組むべき本質的な課題なのかを見極めることだ。
例えば、職場でどうしてもそりの合わない相手がいて、一緒に仕事をするのが苦痛だとしよう。多くの人は、「どうすればその人と顔を合わせずに済むか」「どうすれば相手との担当業務を減らせるか」といった、いわば対症療法的な解決策に思考を巡らせがちだ。しかし、それは根本的な解決にはならず、むしろ相手の言動がますます気になり、苛立ちや恨みといった負の感情を増幅させてしまう悪循環に陥りかねない。
本当に考えるべきは、外的な要因ではなく、自分自身の内面へと視線を向けることだ。「なぜ、自分はこのタイプの人間がこれほど苦手なのだろうか?」「この状況で心が乱される自分の弱さとは、一体何なのだろうか?」と。
多くの場合、問題の根源は相手にあるのではなく、それを受け止める自分自身の側にある。おそらく、自分が精神的に揺るがない強さや、物事を柔軟に受け流せるしなやかさを持っていれば、相手の存在を不快に思う必要すらないのかもしれない。そうであるならば、取り組むべき課題は「相手をどうにかすること」ではなく、「自分をどう成長させるか」に変わる。
そのためには、まず自分の弱さや課題を正面から見つめ、それを「現在の自分のステータス」として冷静に認めることから始めなければならない。そして、その弱さを克服し、人間的なレベルアップを果たすための「戦略」を立てるのだ。それは、新しいコミュニケーションスキルを学ぶことかもしれないし、自分の感情をコントロールする訓練を積むことかもしれない。
このアプローチは、単なる精神論ではない。具体的な目標を設定し、それを達成するための道筋を考える、極めて実践的な問題解決のプロセスなのである。
電話の向こうで沈んでいた友人の声は、このような話に笑いを交えるうち、最後には驚くほど明るいものに変わっていた。深刻な悩みも、視点を変え、少しのユーモアと戦略的な思考をもって向き合えば、それは乗り越えるべき「敵」から、自分を成長させてくれる「クエスト」へと姿を変える。人生というゲームをより楽しむための攻略法は、意外にも自分自身の内面を探求することから始まるのかもしれない。