フリーランスの作り方。フリーランスになるには?

仕事としては、いい仕事だ。しかし、もし、この仕事を続けるのであれば、今の写真屋と平行してやるべきではない。これは真剣に事業化しなくてはいけない。それにデータ修復と言うのは孤独な作業だ。何日も呪文のようなダンプリストと呼ばれる16進数の数字をチェックしないといけない。

これは辛いし、第一楽しくない。

そこで、当時、仕事を探していた友人にその仕事を振った。

まず、一般的な復旧ソフトをあげて、まずはソフトを熟知することからはじめてもらい。差別化のためWindows専門でスタートアップした。まずは市販ソフトで出来るレベルから修復代行業務というようなコンセプトだ。そのために料金形式も私のビジネスモデルをそのまま利用していただいた。

修復ソフトがあるから誰もが修復出来るということではない。修復という仕事は、その作業が面倒で頼む場合もあるので、困っていればそれを助けるという意識で、最低限の料金をもらうのは悪いことではない。

その仕事を振った相手は、友人の浦口くんだ。私がマックディスクレスキューという名前でやっていたので、彼の場合はウィンディスクレスキューという名前で始めた。

元々家電製品の修理の下請けをやっていたこともあり、独学でメキメキと仕事の腕を上げ、どんどん事業拡大していった。才能があったのだ。逆にその頃私は、修復の仕事からは足を洗いつつあった。

今のその会社の名前が「くまなんピーシーネット」熊本のベンチャービジネス界でも有名な会社だ。と、言うより全国の修復業者として5本の指に入るだろう。

さて、リカバリー業務をはじめる少し前にもう一つの仕事が始まっている。それが学校の講師の仕事だ。

この時期、私はマックによるパソコン通信にもはまっていた。Niftyから始って熊本ローカルであるアリエスそしてJNETと楽しんでおり、JNETではサブオペを努めさせて頂いていた。

当時はまだ、インターネットが普及する前で、今のインターネットの様な多彩な機能はなかった。

簡単に言えば2chの掲示板みたいなものがあって、そこに各自がハンドル名で記事を書き込んでいく。基本はそういったものであったが、それでも、カテゴリに分かれた掲示板を基本として、コミュニティーが生まれ、新たな人とのつながりが出来ていた。

音楽や、様々な掲示板を通じて、沢山の人と知り合うことが出来る様に成っていた。

そうして知り合った友達の間で、オフ会と称して実際会って友達になる・・これはまぁ、昔で言えば書籍の文通コーナーで知り合うことに似ているわけだが、今のインターネットを使っている人からすれば何の感動もない事かも知れない。

しかし、当時は、そういったコミュニケーションツールはなかったわけで、それによって世界観自体が変わる体験をした。

そんな中、パソコン通信で知り合った当時は湖東カレッジの川本先生からこんな相談が来た。

「今、うちの専門学校で講師の空きが出来て、代わりの先生を探しているんですが、浅川さん誰か良い人居ませんかね?」

「そうですね。ジャンルは何ですか?」

「マルチメディアなんですよね。」

「分かりました。探してみましょう。」

しかし、マルチメディアというジャンルに精通する人材はなかなか見つからない。そのうち川本さんがこう言った。

「そうだ、浅川さんやりませんか?浅川さんなら映像系は専門だし音も作れるからぴったりですよ」

この提案には正直悩んだ。それまでの仕事とはちょっと性格が違う。


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