この話はかれこれ30年位前の話から始まる。
実家のカメラ店を継ぐために、なーんにも考えず写真学科のある大学に進んだ私は、在学中から色んなバイトを始めた。ぬいぐるみショー、運送会社、販売員、喫茶店、食堂などである。
色んなバイトを経て、自分なりに向き不向きを確認した後で、実家のカメラ店に戻ってきた。ところがである。どうも居心地がよろしくない。実家の仕事というのは結局、親との対峙である。
成人してまでも、親と一日中向かい合って仕事するのは骨が折れる。普段から仲が悪い訳ではないが、仕事の事になれば必ず対立してしまう。これが他人だと、資料を作ってプレゼンして、説得するという方法論で突破口も作れるが、いかんせん、相手は親だ。
言うことを聞くはずがない。
「いやだから!、このままカメラ店という営業形態を継続させるのは難しいって言ってるだろ」
「なに言ってるの!ひとつの町に1店舗位は必ず残れるわよ!」
私の実家の場合、母が商売の実権を握っていた為、口論となる相手はいつも母だ。
元教師である母は、どこか物言いが高圧的である。それはいうなれば、親という権威を守らねばならないという発想から生まれる昔ながらの考えだ。
そんな中、ある事をきっかけとして副業が始まる。そのきっかけは仕事とまったく関係ないところから生まれた。そのきっかけとは・・・。
そのきっかけとは「失恋」だった。
失恋がきっかけに新しい仕事が生まれるというのは、変な話であるが、実際に世の中なんてどう転ぶかわからないのが面白いところ。
高校一年の頃からお付き合いが始まったその彼女とは、大学卒業するまで続いたのではあるが、それがあることを境に別れることになった。その理由なんて、今考えれば、実に下らない事だ。しかし、当時の私にとっては、自分が考えるより一大事であって、体と心が一気に壊れてしまう事になる。
私はその事をイメージ・ダメージと名づけている。(その時の曲が出てきた Image Damage Sound Cloud にアップした)
失恋によってグデグデになった私は、寝込んでいた。体が云う事をきかない。起き上がれない。こ、これでは廃人ではないかと思っていたところで友人が一言、助言してくれた。
「あのな、こーゆー時は歌を作るといいんだぜ」
「なんで?」
「多分な、こんな時は詩が出来るのだ。人間苦しい時に限って才能がない人にも歌が生まれてくるんだよ」
素晴らしい助言だった。