クリエイターを育てるのって難しいなぁと思う。更には、クリエイターって育てるものなの?という自問自答もある。
昨日生徒の一人と話した。その人は、新たな仕事をするためにウェブや動画などを勉強しているとのこと。ただ、カリキュラムに沿って、技術を取得してもコースが終わった時点で、次のステップが見つからない。何をしていいのかが、わからないとのこと。
たぶん、その方は明確にやりたいことがあって勉強されているのではない。将来を考え副業として新しい技術を習得したいとの思いからだろう。その考え自体は良いと思うが、その状況からクリエイティブワークが出来るかと言うとなかなか難しい。
自分の場合音楽を作り始めた時はどうだったろう?
その当時全く楽器も弾けず、和音の理論なども知らなかったが、とにかく「音楽を作りたい」という欲求が先にあった。このため、音楽を知らない自分がどうやったら作れるのか?
楽器を買い揃えレコーディング機材を揃え、まずは無知の状態から作り始めた。そうして作りながら調べるため、その時その時の目標が明確にあるわけだ。
「ここのイントロのコード感もう少しカッコよくしたいないぁ、じゃあ、ジャズ的なコード進行使ったらどうなる?」インターネットが無かった時代でもあって、早速コード理論の本買いに行き、調べながら実践してみる。
こういったことの積み重ねでレベルを上げていく訳だが、この当時これら行動がそのための勉強だとは思ってもいないわけだ。ただ単に楽しくてやっている。何かを調べて実装し、それで作ったものの完成度がアップするから楽しい!何らかのコースを受けてその中でもうまく行けば楽しいと思うだろう。
しかし、それだけだと、そのルーチンの中での事なのであって、何かをクリエイトしているわけではない。「そこにはない何かを作り出したい」という動機が無いのなら本当の楽しさには遠く及ばない行為かもしれないのだ。
この動機というものが、クリエイティブワークをするためには非常に重要になってくる。(それは何をするにしても大事だろうが)
本来存在しないものを作り出すのがクリエイティブワークであるから、ルーチンワークを完璧に覚えても何も生み出せないわけだ。そこからはもっと思考のジャンプだったり、想像力などがないと進めない。
しかし、今の教育ではそういった型にはまらないものを教える機会が少ない為、やり方自体がわからない子どもたちも多いし、大人であっても、クリエイティブに何かするのに慣れていない場合も多いだろう。
だが、今後それでは足りない世界がやってくる。その意識だけは持っていたほうがいい。