先日ブラザートムさんのライブでお会いした大田黒司さんが書かれた「天草の民俗信仰」の本、まずざっと速読してみた。専門的な内容であるため、真剣に読もうとすると、止まってしまう場合が出てくる。そこで、一旦速読的な飛ばし読みで全体を把握した後、何度か読み返すと理解が進む。ということで一回目の速読終了。
日本人にとって宗教へのスタンスは他国とは少し違うかもしれない。
「宗教(しゅうきょう、(英: religion)は、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである」
引用元:Wikipedia
確かに神道はあったわけだが、神道は一般的な宗教とは違うものではないかと思っている。教祖的な存在もいないし、統合する教義も経典も無いアニミズムから生まれて霊的存在を前提に構築されている。この点において海外の宗教の場合、教祖が居て戒律などが存在している。
明治維新以降、国教として神道を据える形になったが、1945年の神道指令によって、解消されることとなる。
そういった背景もあった上で、そこに仏教の影響というものが複雑に絡み合ってきて、キリシタン信仰が対仏教的スタンスで生まれていく。
すなわち「カミサマ」という概念に於いて天草地区で元々あった山岳信仰(修験道的なもの)と海から来たキリシタンがある意味同等な力として、仏教に対峙したのかもしれない。(まだもっと何度か読んで理解する必要もある)
天草の地理的独自性から生まれた文化に対しての理解は重要だろう。それが天草のアイデンティティーとなっているわけだが、それらも時代とともに薄まってい消えていくのが今の流れ。
天草と対峙するかの如く阿蘇地区もまた独自の文化圏を作っているし、人吉もそれらと違う文化圏だと思う。
そういった地域のアイデンティティーの喪失は地域の崩壊をも意味するわけで、これらの保護は非常に重要なのであるが、今の時代それができているとは思えない。
いま、進めている写真クラブ(KIPAH)では写真よる文化財保護活動をやりたいと思っている。