人工知能で絵を描かせていて感心するのが、こういった日本画において顔料の染みだったり、経年変化による変色などのシュミレーションで、そのノイズ的な要素もまた作画の味的なものに変換されている部分だ。
陶芸の場合そういった有様に対して「景色」といった言葉でそれを楽しむ事となるが。絵の場合は基本的にノイズはノイズとして認識される場合が多い。
この点で、利休の提示した美意識は、元来存在していた美意識を超えているものだと思うのだが、それらが提示している美の概念は、単純に美しいものに価値を与えるということではなく、その背景にある全ての精神活動や思想などにも繋がるものになる。
それらを感じそれらを形にし、更にはすでに完璧である自然からそれを受け取るという行為が重要なのだが、そのシュミレーションがAIの中にも成立していると思うのだ。
元来、クリエイティブワークの作業のうち、本当にクリエイティブなのはほんの一部でしかない。それは基本的に過去の表現のなどの模倣になる。模倣の中に新たな要素を含むことでクリエイティブワークにはさらなる価値が付帯する。よって、我々も過去の表現の繰り返しをほとんどやっていて、試行錯誤する意識がその方向性を決めていく。
ただし、AIにはそれらの根本を成す意識というものは基本的には無いはずだ。それらをあえて意識という見方で分析すれば。「AIの無意識上のプロセスが意識を再構築している」ということになるかもしれない。
それって、アートにおいても一大事なんだと思う。