アートにおける感性のあり方

アートにおける感性のあり方

その昔、写真屋だった頃写真クラブというのがあって、毎月例会を開催して20人くらいのメンバーが写真を持ち寄り、プチコンテストを開いていた。

当然私も参加して写真を提出してたが、一度として優秀作として選ばれた事がなかった。なぜならそのへんの石とか、何かの模様とか、ぶれまくった写真とか出していたし、自分ではいいなと思って出したのだが、そんな写真を評価されることは無かったわけだ。

第一自分自身で、なぜその写真がいいのかも説明できなかったし、単純に好きだからとしか言えなかった。

だから、その当時は「ああ。僕には写真の才能なんてないんだなぁ」と考えていた。他のメンバーの皆さんが出品される作品に対して、そのどこが素晴らしいのかは理解できていた。

構図だとか、シャッターチャンスだとか確かにそれはいい写真であったのだけれど、なぜか惹かれるものを感じなかったわけだ。

その時のいい写真、しかし、それには全く惹かれない自分。

やっぱり、自分の感性がおかしいのだ。そう考えていたが、だからといって他の人のようないい写真を撮る気にはなれなかった。お客さん相手の写真屋としては失格だ。だから家業としての写真屋は務まらないというのが最終的な結論でもあった。

そしてそれは今でも変わっていない。多少は見る人に媚びを売る・・というのは言いすぎだが、必要とされる写真も撮れる様になったが、それは仕事だからだ。

やっぱり自分の好きな写真は変わらない。


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