学生であるという意識と社会

学生であるという意識と社会

本日は大学の情報演習の時間を使って人吉の状況レポートの授業を短時間ではあるが行った。

多分、学生である彼らにとっての日常や現実というものは学校と家庭とバイトにあって、そこに芸能界やらドラマの世界やネットの世界が影響しあう精神構造に成っているのだと勝手に思っている。

これは自分がそれに近かったからでもある。大学生のときでさえ「社会」というものには距離を感じていたし、それがどう自分と関わるかなんて興味の対象外だった。

情報を扱うという授業において、その方法論を教えるのは簡単だ。それこそ課題出して問題を解かせればいい。しかし、この「情報」というキーワードそれだけではすまない概念だと思っている。

情報を扱うということは、様々な価値を扱うということであってそれはすなわち命とも連携している。生物学的にも我々はDNAとう情報の船であるという社会生物学者の見解がある。

つまり我々は情報によって成り立っているという考え方だ。物それ自体が実体ではなく「情報」が命自体を形作っているという事。

それは、情報の定義にもよるが、重要なメタファーとして命を捉えられるかもしれない。


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