最近時間があると新しい学校のリーダーズの動画を探して見ている。
彼女達の音楽が好みと言うわけでは無い。しかし彼女たちの放つ異端の雰囲気は、その先に何が有るのか興味をそそる。
彼女たちの活動をアートとしてとらえると面白い分析ができる。
元来アートという概念には、「視点の転換により新たな価値を創造する」という部分があると思っている。つまり、それは可能性の担保とも言え、我々の精神活動をを活性化する働きを持っている。
以下に別途FBに書いた記事から抜粋する。
アートにしても仕事にしても「新たな価値を見つけ出し作り出す」という事が重要になってくる。
それと対になって、「それら価値を維持し守る」も存在している。そのどちらを主にやるのかはそれぞれの役割であり選択であろう。
宇宙の仕組みとして、すべては最終的に混ざり合い平衡状態となりエネルギーは消滅する方向に向かうのだが、そのカオスに対抗しているのが生命であると言える。
それはつまりすべては消えゆく運命であるにも関わらず、そこに秩序をもたらし波(出来事)を起こし、継続させるのが生命だという事だ。
それは基本的なプログラムみたいなものであって、そのまま存在意義となっている。
私たちが自分の存在の意義を考えるとき、こういったマクロな視点で見ることは少ない。相対的社会的関係性から自分を測って存在する意義がないとかあるとか言っているが、そんなことを超越してそこに意義はある。
もっと言えば存在していることは奇跡でもあるが、それと同時にそこに善悪もない一つの現象だと言えるだろう。それを認められれば存在意義になどに悩む必要もない。
それら要素の一つとしての霊的存在などに関しては現世ではよく分からないし、あまり語るべき事もないが、そのような存在があっても、不思議ではない。
それらは先人の多くの師たちが共に認めている。
そのうえで存在するのは「今」しかないと考えるべきだろうし、今何をするのかですべては決まっていく。基本プログラムを理解し、新たな価値を造り続け、守っていく。これが出来ると「私」という命も納得するのだと思う。
こういった側面から彼女たちはその活動においてアート的アプローチを無意識に行っていると思えるのだ。最初は「はみ出す」というコンセプトで活動していたものが結果としてアートになっていく。
ほとんどの曲の作詞と振り付けをメンバー自ら行っている彼女たち。
多分リーダーSUZUKAの内的世界とメンバーたちの世界観が融合した事で、よりカオスな表現が生まれている。そして、そこには意味性を放棄した何かのエネルギーが渦巻いている。
現代の美術として「現代美術」といったジャンルがあるが、この現代美術はそれまでの既存の伝統的美術の否定から生まれている。そう考えると彼女らの活動は現代美術の一つとしてとらえてもいいのではないかと思う。