才能は結果論

才能は結果論

先程LINEで大学時代の友人から定年退職の挨拶が来た。定年あるって素敵。私のようなフリーランスは定年即死・・とはまぁ言い過ぎだがそれに近い。


動いたっきり老人になるしか今の所選択肢はない。

振り返ってみても高校生の頃からやってることはあまり変わっていない。放送部で遊んでいた内容が多少今っぽくなっただけだ。従って仕事しているのか遊んでいるのか未だに良くわからない。

それなのに先生とかもやっていて、遊んでいれば先生になれるよと学生の皆さんに言いたくなってしまう。勿論それほど世の中甘くはないが、それでは本当に甘くないのかと、考え直してみても辛いという思い出はあまりない。

年齢を重ねることは苦しみ以外の何物でもないと言っていた友人もいたが、私にはそう思えない。なにしろふざけていてもだんだん怒られなくなった。

浅川さんだから仕方ないと諦めてくれる。

ただ、今の時代を含めて好きなことを仕事にすることはそれほど難しくないのではないかと思っている。そのためには才能が必要だと思うかも知れないが、才能なんて単なる結果論だ。

だって、才能があるかないかを判断するためには、何かを成したという実績で判断するしかないのだ。従って、才能のあるナシはやってみないと分からない。

なにかにトライし、多少効率悪くても積み上げるしかない。

昔の通信簿にいつも書かれていた事がある。

「浅川くんはやればできる」

それを読んで思っていた。

「何いってんの、やってないから出来ないと同じじゃん」

つまりは動いたもの努力したものだけが才能を手に入れたことと成るという当たり前の話。なので私は死ぬまであらたな才能を次から次に手に入れるのだ。その行程を生涯楽しむからね。