私がYMOの音楽を聴いたのは、大学生になった頃だったと思います。彼らの音楽は、当時流行っていたスペースインベーダーゲームと重なるような、先進的で無機的なサウンドで、未来への招待状をもらったような気がしていました。
しかし、周りの多くがYMOを聴いていたわけではなく、音楽ファンの一部が盛り上がっていた程度でした。彼らが海外公演などを経てファッション的な影響力を発揮し始めた頃から、徐々にテクノ・ポップが時代を作っていくことになりました。
テクノポップは、ロック的な素養が薄かった日本からも、世界の音楽に影響を与えることができることを証明した音楽だったかもしれません。西洋音楽に埋もれていた私たちからの初めての返事だったのです。
そうしたコールアンドレスポンスが成立する感覚は、これまでになかった経験で、与えられるだけの存在からの脱却を意味していました。これが音楽における日本の自立だったのです。
もちろん、彼らがいなくても日本は自立した文化を持っていたのですが、その事実は強大な音楽産業や西洋化した生活の中に埋もれ、「文化もまた西側からいただくもの」という気運が常態化していたのです。
現代において、AIの隆盛によって、私たちはますます他律的な価値観に洗脳されていくでしょう。これはもう時代の要請であり、その洗脳は幸せな洗脳になるかもしれません。しかし、グノーシス主義者のような彼らの存在は、これから逆に重要になってくるかもしれません。
最後に、高橋幸宏、坂本龍一両氏のご冥福をお祈りします。