今日、私が教鞭を執っている平成音大の卒業式が中止になったことが告知された。今の時期そういった処置は致し方ないだろう。
それにしても今の卒業生達は、熊本地震に始まって、新型コロナウイルス感染症(COVIT-19)にて締めくくられるという激動の時期を大学生として過ごしたことになる。
それは考え方によっては不幸であったと思うかも知れない。
しかし、ぜひもう少し深いところでの理解をしてほしいとも思う。それは私達が幻想の中で生きているという事実だ。そこでは確かに「在る」と思っている学校や社会なども共同幻想によって成り立たっているという事実だ。
「共同幻想」つまりは「想い」があって、それらは存在し、多くの人達のたゆまぬ努力によって継続している。それが在ると言うことを「当たり前」だとは思っていけない。
「在る」事が奇跡だと思うべきだ。
先に別記事で「夢は実現しない」という言葉を書いたが、実際は多くの「夢」がすでに実現している。実現しているから「夢」ではないと認識した時に私達は本質を見失う。
この事実を地震やCOVIT-19の蔓延という現実によってよりはっきりと体験出来たのは一つの果報だといえる。
それが単なる不幸であると考えてしまえば、それは君たちにとっては何の意味もない悲しみでしか無いだろう。しかし、私達はそういったネガティブなことからこそ体感して真実を理解できるという能力を持っている。
それを忘れないでほしい。
地震や何やらの騒動で何を感じ何を大事だと思ったのか?
日常に埋もれさせてはいけない。
まずは卒業おめでとう。
そして、「おめでとう」とは、「愛(め)でる」+「甚(いた)し」という意味なんだよ。それはもっと簡単に言えば「愛でいっぱい」って感じなのね。
皆が君たちを愛してるってことさ。