今回のAIAのアーティストの中には陶芸家もいる。陶芸というジャンルにおいて日本の美的基準は他国とは随分違う気がする。
多くの西洋の陶芸家は、彫刻のカテゴリーにあって、土から作る作品としては日本の陶芸より定義が広い。それに対して、日本の陶芸は器を基本として展開されていると考えたほうがいいだろう。
それは生活に密着した土器から発展し、中国などの影響もあったところから武野紹鴎や千利休によって提唱された「侘び茶」の概念が生まれ、その後の日本人の美意識を変化させていった。
それまでは中国陶器の豪華絢爛とでもいうか完成された美しさを追求していた状況から雑器や歪んだものの中にも美を見出すという価値観が席巻していく。
つまり、見かけの完璧さだけに美が存在しているのではなく、そのモノの本質にこそ美は存在するという思想だ。
日本人が定義する「美」とは、「人知を超えた偉大なるもの」といった意味であって、それはすなわち神の御業を意味する。先に書いた日本人の宗教観とそれらは合致していくのだ。
そこには一般的な形の美しさだけでなく、そのモノの存在を決定づける関係性の発露みたいなものまでを含み、人と自然、部分と全体、美と醜までをも含むバランスを愛でるという行為に繋がっていく。
従って、やはりそこには善悪などない。それはプロセスの一種でありそのあり方を通じて宇宙と繋がる方法であると言える。
大げさに聞こえるかもしれないが、日本人の特性はそうした、仔細にこだわりつつ、仔細を突破する「道」を見つけるのが得意なのだ。
よって、多くのなりわいは極めれば「道」となる。書道、華道、合気道・・・そして重要なのは、「道」は何処かに行き着くものではあるが、行き着く先を指しているのではない。
あくまでも、道そのものなのであって、やはりそれはプロセスなのだ。
彫唐津茶碗 銘「巌] 桃山 - 江戸時代 東京国立博物館蔵