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劇団夢桟敷の短編映画「あたしはあなたの病気です」のマスタリング編集を行いました。

劇団夢桟敷の短編映画「あたしはあなたの病気です」のマスタリング編集を行いました。

昨日は劇団夢桟敷の実験映画上映会と三枝先生と寺山修司さんの弟になる森崎偏陸(寺山偏陸)さんとのトークショーが開催された。今回は動画の最終的な編集作業と、音楽の一部を提供した。

今回の編集作業においては、すでに編集されている各シーンをつなぎ全体を調整する程度の編集だった為、それほど作業量は多くなかったが、それでも製作者の意図に沿った編集は必要であって、そのために寺山修司のことを調べ直したりした。

各シーンは劇団員の方がPCやスマホですでに編集済み。それが結構複雑な構造になっていて、もしそれを最初から私の方やると成ると相当時間がかかっただろう。

さらに、自分でやればシーンの撮り直し(リテイク)やら何やら、完成度を上げるために色々やっているはずなので更に時間がかかる。一応プロでもあるのでその点はあまり手が抜けない。

劇団員の方がベースを作られたからこそ上映に間に合ったと言える。ほぼ初心者である方たちであるから、映像制作の基礎がない分逆に思い切った事ができる。それは知らない者の強さとも言える。

途中こちらからも提案して、昔作った音楽をBGとして使っていただいた。エンディング曲など数曲は私の音楽だ。

編集の途中を見ていた女子大生が言った。

「これホラーですか?」

うん。確かにホラーなのかもしれない・・・意味を解体するのに恐怖は重要だろう。恐怖は人を不安にさせ、その立脚点としている価値観を揺らがすことができる。

俗に言うアングラ劇とはそういった恐怖を友にしたものが多かった。しかし、今の時代アングラという概念自体が風前の灯火だ。ネットワーク化された今、多くのものが人目に晒されアングラ(アンダーグラウンド)というモノ自体が存在出来にくい時代だ。

そしてそれらはもっとわかりやすい形で広がりつつ、ネットワークコミュニティーを作り上げている。つまり、アングラであり続けるための希少性は失われ、平均化されていると言える。

寺山修司の活躍していた時代と今の時代では、心の闇のあり方が相当変わっている。勿論その奥底には共通するものがあるとしても、時代背景が変わればその世界観も変わっていく。

私自身は寺山修司を語れるほどの品性も知識もないのだが、やはりその中で繰り広げられた想像力の発現みたいなものは今も重要なのだと思う。まずは言葉の意味の解体みたいなものがあって、そこから再構築していくことで世界をもう一度見直す。

そこには恐怖や衝撃も必要とされる。

それら恐怖が現れ方が今の時代では少し変容している。それらは例えば先に挙げた神聖かまってちゃんとか美波とかの歌詞の中に現れる、集団と馴染めない主人公が陰キャといった言葉で表現される世界と繋がっていく。

ただ、この世界に気がついたものは後戻りはできない。

そのため、アンダーグラウンドカルチャー(というかアングラと訳される日本の文化)はいい意味でも悪い意味でも洗練され一つの個性として集約されつつあるのだ。

情報化されていなかった過去、様々に隠蔽されたアートとしての可能性を見つけた時の高揚感は今では薄れてしまったかもしれない。自意識過剰で「わたしだけの何か」を求めていのはすでに過去の事だ。

それより今の共通言語としての恐怖のほうが現時代的テーマに成るだろう。ホラーよりテラーからの崇高な何か?そこへの共時性の発露が必要な時代となる。

そしてそれは、普遍的に存在している我々の欠落を直視させ、さらに芸術は生まれ続けるのだ。

  Click to listen highlighted text! 劇団夢桟敷の短編映画「あたしはあなたの病気です」のマスタリング編集を行いました。 評価 (0) 昨日は劇団夢桟敷の実験映画上映会と三枝先生と寺山修司さんの弟になる森崎偏陸(寺山偏陸)さんとのトークショーが開催された。今回は動画の最終的な編集作業と、音楽の一部を提供した。 今回の編集作業においては、すでに編集されている各シーンをつなぎ全体を調整する程度の編集だった為、それほど作業量は多くなかったが、それでも製作者の意図に沿った編集は必要であって、そのために寺山修司のことを調べ直したりした。 各シーンは劇団員の方がPCやスマホですでに編集済み。それが結構複雑な構造になっていて、もしそれを最初から私の方やると成ると相当時間がかかっただろう。 さらに、自分でやればシーンの撮り直し(リテイク)やら何やら、完成度を上げるために色々やっているはずなので更に時間がかかる。一応プロでもあるのでその点はあまり手が抜けない。 劇団員の方がベースを作られたからこそ上映に間に合ったと言える。ほぼ初心者である方たちであるから、映像制作の基礎がない分逆に思い切った事ができる。それは知らない者の強さとも言える。 途中こちらからも提案して、昔作った音楽をBGとして使っていただいた。エンディング曲など数曲は私の音楽だ。 編集の途中を見ていた女子大生が言った。 「これホラーですか?」 うん。確かにホラーなのかもしれない・・・意味を解体するのに恐怖は重要だろう。恐怖は人を不安にさせ、その立脚点としている価値観を揺らがすことができる。 俗に言うアングラ劇とはそういった恐怖を友にしたものが多かった。しかし、今の時代アングラという概念自体が風前の灯火だ。ネットワーク化された今、多くのものが人目に晒されアングラ(アンダーグラウンド)というモノ自体が存在出来にくい時代だ。 そしてそれらはもっとわかりやすい形で広がりつつ、ネットワークコミュニティーを作り上げている。つまり、アングラであり続けるための希少性は失われ、平均化されていると言える。 寺山修司の活躍していた時代と今の時代では、心の闇のあり方が相当変わっている。勿論その奥底には共通するものがあるとしても、時代背景が変わればその世界観も変わっていく。 私自身は寺山修司を語れるほどの品性も知識もないのだが、やはりその中で繰り広げられた想像力の発現みたいなものは今も重要なのだと思う。まずは言葉の意味の解体みたいなものがあって、そこから再構築していくことで世界をもう一度見直す。 そこには恐怖や衝撃も必要とされる。 それら恐怖が現れ方が今の時代では少し変容している。それらは例えば先に挙げた神聖かまってちゃんとか美波とかの歌詞の中に現れる、集団と馴染めない主人公が陰キャといった言葉で表現される世界と繋がっていく。 ただ、この世界に気がついたものは後戻りはできない。 そのため、アンダーグラウンドカルチャー(というかアングラと訳される日本の文化)はいい意味でも悪い意味でも洗練され一つの個性として集約されつつあるのだ。 情報化されていなかった過去、様々に隠蔽されたアートとしての可能性を見つけた時の高揚感は今では薄れてしまったかもしれない。自意識過剰で「わたしだけの何か」を求めていのはすでに過去の事だ。 それより今の共通言語としての恐怖のほうが現時代的テーマに成るだろう。ホラーよりテラーからの崇高な何か?そこへの共時性の発露が必要な時代となる。 そしてそれは、普遍的に存在している我々の欠落を直視させ、さらに芸術は生まれ続けるのだ。 2021年03月14日 参照数: 6992 前へ 次へ Powered By GSpeech

 

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