普通に暮らしている人にはわかりにくい生きにくさを持った人々。私の周りには沢山いる。「ただ生きる」ということが難しいという事、なかなか周りには理解されにくい。
一般的な感性からすれば、「何をそんな事気にする必要あるのか」なんて事で悩んだりしてしまう。ひいてはそれは自己否定へと繋がり、すべてをなかったことにしたくなる。
先のシン・エヴァンゲリオンでは、それら妄想をなかったことにしたというか、それら妄想を一旦クラッシュさせた上で、新しい世界を構築した。
多分、生きにくい人にも同じような浄化作用が必要なのかも知れない。
ただ、その新世界の構築は、見方を変えるだけで実現できるのだが、見方を変える方法がわからないのだ。実際、我々は多元的宇宙に暮らしている。
私の今を儚むも受け入れるもその人次第なのだ。
もっとわかりやすく書こう。
つまり、自分が暮らしている世界、そして自分自身すら一定の固定化されたものではない。見る位置を変えればそれらはまったく別の面を持っている。だから全ては相対的に存在していて、それらに本質的な善悪や正誤といったものは存在していない。
あくまでも多元的であるという面において一元的であるという相反する現象がともに成立している。そしてそこに生まれる苦しみは苦しみであるとともに喜びにも転化できるかも知れないのだ。
相反する思いはいつでもタオのマークのように反転する。