皆さんはシンギュラリティという言葉をご存じだろうか?シンギュラリティとは「技術的特異点」などと言われる概念で、簡単に言えば「コンピューターの能力が人間の知性を超えてしまうことやその時期」ということになる。
その理論を提唱したレイ・カーツワイル博士は、「2029年にAIが人間並みの知能を備え、2045年に技術的特異点が来る」と提唱している。つまりまだ先のことだ。
しかしどうやらその予想は大きく外れるかも知れない。
落合陽一によるシンギュラリティ論では、2025年にはそれが来るとのことだ。
それが意味する世界。
つまり、我々が今まで苦労して培った知性や理性などの多くがAIによって代替えされ高速度で進化することで、その知性を磨くとか、技術をわがものにするという行為自体に意味がなくなる訳だ。
そういった現象はどこそこで発生していて、分かりやすい例としては、AIによるお絵かきだったり、音楽制作だったり、文章に関しても人工知能による作文がどんどん利用されいる。
これは大学などのレポートなどでも今後使われていくことになるだろうし、今でも使っている生徒も多いのかもしれない。しかも、評価する我々がそれらの真偽を見分けること自体が難しい。
これらが進む未来、我々はホモサピエンスととしての役目を終えるかもしれない。ホモサピエンスのサピエンスとは知性などを意味しているが、それを求める意味がなくなるというわけだ。
私たちは、自然の対比としてデジタル的な世界観を挙げる場合も多いが、落合陽一が言うように、やがてデジタルネイチャーとして世界は統合されていくだろう。というのもデジタル技術を開発した人類もまた自然から生まれていて、その一部であるからだ。
近年において、我々人類の情報処理能力を超えコンピューターネットワークがシンギュラリティを迎えるとするなら、私たち人類の未来はどこに向かうのか?落合陽一の言ううように現代のあり方を捨て、宗教的存在の中での価値基準を基本とした生活に戻ることが重要なのか?
とにかく大きな変革の時代であるのは確かだ。