日本でのアイドルの存在は世界的に見ても希少なものだと言える。もともとアイドルという言葉自体が日本だけに通じる概念であって、海外ではそういった商品価値をもったタレント(この言葉も日本特有な使い方)は少ない。
確かに今の時代、そういった商品価値はアジアなどでも認知されつつあるが、それでもそれほど多くはない。
韓国のタレントなどは、世界基準の価値観にそって、マーケティングベースで仕掛けられており、海外でも成功している。
これは表現者はその能力に応じた評価がされるべきであるという概念が基本となっているわけだが、日本の場合、歌が上手いとか、ダンスが上手いという部分で評価されるわけではない。
そこには、稚拙さであったり、不完全性などが優先され、アイドルを育てるという意識が介在している。その前提にある概念が「可愛さ」であろう。
この場合の「可愛さ」は、自分より劣ったものへの母性であったり父性的な養護の意識であると言える。
これは個人主義、能力主義の他国に比べて、全体主義的概念の強い日本人において、全体で弱者を支えるという意識に通じていると考えても良いかもしれない。
実際、乃木坂46などの番組を見ていると、評価が高いというかバズったりする場面というのは、能力が高いという場面より、失敗するような場面であって、それをみて「カワイーーーー!」と皆叫ぶのだ。
これはもう海外の人からすれば「なんじゃぁおりゃああ」という感想になるだろう。
それと同時に、歌謡界から生まれ、秋元康さんが仕掛けたと言える日本の今のアイドル像は、アニメーション文化とともに海外にも確実に広がっている。もともと、海外の場合、幼児ポルノなどへの規制が厳しいし、若年層はそういったタレント活動より就学の方が重要であるという意識が高い。このため、日本のアイドル像は海外から見れば、異端なのだろう。
そういった観点から Baby Meral みたいなバンドが、高い評価を受けたのは、その演奏力あってのことだし、その上で日本のアイドルという概念が新しい価値として認められたのだろう。
すでに日本的なものというのは、海外からすれば、伝統的日本文化の価値を上回る形で、アニメ的オタク文化やKAWAII文化というのが席巻している。
今の時代、富士山芸者といったイメージを持っている外国人は、情報弱者などを言われるのかも知れない。
となれば、そういった日本の新しい文化(今更何を言う!と突っ込みたくなるが・・)を積極的に取り入れていく必要も大きい。
そのためには自分の感性を信じないというのも重要だ。デザインにしてもシステムにしても若い人達の意見を基本的に取り入れる必要がある。(私はすでに60を超える老人だ)このことはしっかりと普段から意識する必要も高いだろう。