今日、若い人と話して気づいた事がある。「マスコミは事実を伝えない。その伝えないマスコミは問題だ」的なことを言うわけだ。それはその通りだが、それを言っている人自身が当事者であるということを忘れているかもしれない。
つまり、マスコミの偏向報道はそれが営利組織であるから起きることなのであって、当たり前といえば当たり前だ。したがって、偏向報道はケシカランと言っても、それがなくなることはない。
公正中立な放送などあり得ないし、そこには何らかの意図がある場合が多い。NHKは公共放送だからまし・・というのも当てはまらない。
営利組織でなければ公正中立な報道ができるのか?
これもまた、あり得ないかも知れない。私たちは事実を伝える為に文字、音声、動画などを用いるが、それらを編集する側の思考が必ず介入するため、意識無意識を含めそこには演出が関係してくる。これはコミュニケーションの基礎的な問題であって、何をして中立化という価値観の問題も係わるだろう。
したがって、報道されている情報の多くは演出されており、操作されているから、鵜呑みにしてはいけないということになる。
事実が理解できたら、正しい情報を得る為の努力が重要だとわかるはずだ。
そのために何を調べ、何を考え、何を体験するのか?
例えば、何かを調べたいときは自分の意見と反対の意見を沢山調べるべきだ。そこには色々な発見がある。本を読むことも重要だろう。本にはリニアに整理された情報が蓄積されている、歴史も重要だし、検索におけるリテラシーも大事だ・・その他諸々の努力があって、より真実に近い情報が入手できる。きっとそれはインターネット以前でも同じだったのだ。
それなしに、マスコミに対しての文句を言ってる状態は、それ等作った「思うツボ」の壺の中に自分が居るということになる。
みんな「思う壺」の中から早く出ることができたらいいよなぁと、思う。