いとうせいこうと細野晴臣との対談の映像には色んな示唆が含まれている。
その中で「この音がずっと宇宙で鳴っているのか」というセリフ。この一言に私自身が音楽をはじめた意味が重なる。
それはまあ、大げさなセリフなのであるが、最初気づかなかった私でも音楽の中に含まれている共振作用と超越する力によって徐々に慰められていくのだった。多分、こんなことを書いても多くの人には何のことかわからないだろう。
しかし、確実に私の中にある宇宙が実際の宇宙と連動しつながっていく感覚によって救われていく。
音楽にはそういった力がある。
私達はそれぞれの思いを抱きつつ、この場所に居てもいいのか問い続ける。その問いは空虚な生活の中で反響し共振しながら増幅するかも知れない。
だからこそ誰かとその思いを共有したいと切望するのだ。
分かっているはずだ、誰も分かってくれないと思う自分自身に実体がないという事実。
そこにあるのはプロセスだけであり、私は私であって私ではない。私の私だけの私には誰かと違う存在であってほしいのだけど、本当はそうじゃない。
「私とあなたは違う」と言いながらも、それほどの違いはない。
「あなたは変わり者だ」というあなたとも、大して違いはない。
だから既にここに在るという事実で、我々は存在を許されているはずだ。
そうだろ?存在が許されていないのであれば存在していないのだ。
その意味を共に理解できればその音楽はあなたの心を癒やしてくれるだろう。
そしてそれを音楽と共に一緒に感じることが出来るのであればそれはこの世界における祝福だと思う。
そこに男女の違いはない、そこに年齢の違いもない、そこに国の違いもない。