善い事と悪い事

善い事と悪い事

アニメ「バビロン」の評価について

アマゾンプライムでアニメをみた。「バビロン」というアニメの中では自殺を幇助する「自殺法」が成立しし、そこから世界を巻き込み自殺サミットが開催されるというもの。

それらを見た人の感想としては、

「茶番アニメ」
「意味不明」
「時間を無駄にした」
「もしこのまま終わりならば完全な駄作」
「善悪や生と死を題材に風呂敷を広げるだけ広げて、ひたすら不快な映像を積み上げ、描いた答えが結局これかよ…」

と言ったものが一般的だった。まぁ、元々難しいテーマであって、それらをエンタメ化するのはさらに難しい。しかし、そういったテーマをそれなりに具現化し一応の答えを出したというのは評価に値する。

私自身は面白く見せていただいた。

概ね、アニメなどのメディアにおいては、対象となる年齢層が低いこともあって、この様なテーマを扱っても視聴者側の理解の限界もあって、評価にはつながらない。それを分かっていてあえてぶつけて来たわけだ。

エンタメに求めるのはハッピーエンドだったり、物語のスピード感だったり・・結局は快楽が対象となる訳で、それがない物語は彼らにとっては何の役にも立たないものだろう。

しかし、それはあまりにも幼い感性でしか無い。

世界はもっと複雑で、ハーピーエンドだろうがバッドエンドだろうがそんな人間にとっての善し悪しなどお構いなしに存在している。

そのアニメの中で、「善し」とは何であるか?の答えは

「続ける」という事であった。

それがなぜ「善きこと」なのであるか?我々は考えるべきだ。そしてそれは、私達自身の存在意義に深く根ざしているのだが、多くの年少者はこの言葉の意味が分からないだろう。

さて、私にとっての「善いこと悪いこと」とはなんであるか?

この答えはアニメバビロンの結論とも近い。

まず、生命という存在がこの宇宙においてどのように位置づけられているのかを考えた場合、ビックバンから始まった(現在の宇宙)では物理法則からすれば全ては拡散し混ざり合い混沌へ回帰していく。諸行無常とでもいうか。

それらは変化し最終的には平均化されたカオスになる。

しかし、その中で生命だけがそのカオスに対抗して秩序を生み出し、何かを継続させようとしている。この秩序ないし、秩序を作ったものを人類は「神」と呼んだとも言えるだろう。それは人智を超えて存在するなにかであって、スターウォーズで言えば「フォース」(スターウォーズの映画殆ど見たこと無いけど)とも呼ばれる。

この時点で、生命という存在自体が「奇跡的存在であって、それがすなわち存在意義」でもあるといえるだろう。

そこに一般的に言われている善悪というものは存在していない

一般的善悪とは人間にとっての都合なのであって、それは相対的に変化する。誰かの善が誰かの悪に変わるのは致し方ない。

我々人間にとっても、植物やウィルスにとっても、それらは継続し生きるという命題を与えられており、いうなれば基本プログラムとして「生きろ」と組み込まれている。その基本プログラムに絶対的善悪というものはない、基本プログラムを無視すれば更に都合の悪いことが生じてもおかしくない。

ここで、「生きろ」という概念には単純に自分だけが生きるという意味ではないことも重要になる。

つまり、「生きろ」には「生かせ」という他者の生命に関しての命題も含まれているのだ。

従って、我々にとって生命にとっての「善」とは「生きろ、そして生かせ」ということだと言うのが今の私の結論になる。


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