日本人の美意識の一つとして「侘び寂び」というものがある。それは基本的に千利休が提唱し一般化していったものであろうが、それとともに一種の呪縛でもある。
これら意識は当時の豪華絢爛な美意識に対抗すべきラディカルな思想として生まれたわけだが、それ自体二重構造を持っている。
つまり表面的、粗野でそそうな佇まいの奥に見える芳醇で豊かな生命活動の価値を湛える対象に対して侘び寂びの思想を提唱したといえる。
ま、簡単に言えば、一見して貧乏くさい外見の物にも美は存在するという考え方だ。(乱暴だけど)美という概念自体は日本人にとっては「人智を超えた神の御業」と認識されていて、その気配を持つ品に対して、「見かけに騙されるな」といった思想があるのだろう。
よって、この侘び寂びの思想が一般化するまでは、美は秩序にあると思われていただろうし、無秩序の中の美というものを理解出来る人は少なかったのかも知れない。この様な意味で、ラディカル・イデオロギーであったことは間違いない。音楽で言えばPUNK ROCKだ。
確かに、我々は美というものを「見かけの美しさ」で判断しがちだ。それは物だけでなく、人に対しての評価も同じかも知れない。
自分に理解できない相手に関しては、表面的な相対的評価でしか判断できない。それ自体は当然なのだが、それが一面的理解に過ぎないことを自覚しているかどうかはとても重要になってくる。