ここまで来てはたと気がついた。先程の朝のアラームはガドガドではなくてユミツエワンのはず。それなのに私はなぜそれがガドガドのせいだと思ったのか?
もしかしてガドガドとユミツエワンは同一人物なのではないか?という疑問。
確かにガドガドとユミツエワン同時に会うという機会はない。それにさっきまでユミツエワンと話していたと思っていたら突然ガドガドが現れて話をし始める。鍵がかかっているはずのマンションにも勝手に入ってくる。
だとするとガドガドはユミツエワンの乖離性人格障害の結果生まれた人格であって、その妄想的人格に私も巻き込まれているのかも知れない。
いや、そんな事はありえない。
学生時代にバイクで事故を起こし、救急車で運ばれる際も、周りの人や病院関係者にのべつまくなし、
「も、すいません。バイクで事故っちゃったみたいで、いやあ、骨折って初めてなんですけど、痛いっすね。これ治りますかね。あ、看護婦さーーん。これからお世話になります。浅川です。」
などと周囲に気配りして、話し続けることが出来たし、足にドリルで穴を開け、鋼線を通す手術の際もあまりに痛くて叫んでしまったが、
「うがっああああああ アホウドリ。いててててて 天狗様。おりゃあああああああああああ 天地真理」
などと叫び声の最後の方をしりとりにして、担当医を笑わせて、手術を中断させたくらい冷静なのだ。
「ちょっと、浅川くん。笑わせないでよ。」
彼はそう言ったが、きっと内心リラックスして手術ができ喜んだはずだ。
それほどの状況判断力を持つ私が、ガドガドに取り込まれるはずはない。
しかし、重要なのは疑念が疑念に過ぎないということを見極める力を持つことだ。疑念の多くは更に多くの疑念を生む。冷静に状況を捉え、現状を分析し、対策を練る必要があるだろう。きっと、真実はディティールにある。ガドガドにしても、その発言と行動をもっとつぶさに観察すれば、この疑念も晴れるだろう。