疲弊した社会で教育のあり方を考えた。

疲弊した社会で教育のあり方を考えた。

TikTokで岸博幸さんが言っていた。

「今の学生さんは問題を出すと大抵インターネットで答えを探してそれをそのまま書くが、それは誰でも知ることのできる答えだから無価値だ」

確かにそうだと思う。

以前ある学校で、Photoshopを教えていた時、最初の授業で生徒たちにこう言った。

「今日は皆さん、初めてPhotoshopを触りますから、今から30分時間をあげます。とにかくいろんなボタンを押しまくって試してみてください。」

自分自身、何か新しいソフトを覚える時、マニュアルなんか読まない。まずとにかくいろんなボタンを押しまくる。そして何が起きるのか確認する。

この時点ではそれぞれの機能なんて、理解できないのだが、感覚的にそのソフトで、できそうな事はわかるようになる。そのあと、各機能を詳しく調べる。

これ、普通だと思っていたがどうやら違うみたいだ。

その授業が終わってから、担当されている先生から呼び出しがかかった。

「すみません。生徒からクレームがきてます」
「えっ、私なにか授業中マズイこと言いましたか?」
「いえそうではないんですが、30分間の自習時間を受けてちゃんと教えてくれないと思う生徒がいたんですよ」

おおおおおお、全く思いもよらなかった。

自分だったら「ラッキー、ソフトで遊べる」なんて思っていじり倒しただろうが、いちから手順を追って教えないと教えたことにならない様だ。

正直言えば、「えーそこまで教育って劣化してるの?」と、感じてしまった。マニュアル第一で、そこから外れると何をしていいか分からない。実際答えのない問題を出すと、完全にフリーズする生徒もいる。

文句言うのはまだましだが、静止して動かなくなる。もちろんそういった生徒は一部でしかないが、空気を読みすぎて自分を見失っているのであれば問題だろう。

疲弊した社会の中で求められているのは、クリエイティブである事。しかし、そのための方法自体を知らない子どもたちが多いかも知れないと感じた。


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