自立という言葉があるが、自らの足で立つというような意味だろう。しかしながらその主体である「私」自体が絶対的な存在ではないという事実を忘れると自立を間違った意味で捉えてしまうかも知れない。
例えば動物的欲求といったものは確かに存在している。(実生活におけるレイヤー上)しかし、そういった物は誰にでもあるものであるから、それを主体と考えれば、個というものへの否定が生まれる。
生物が個体差を持つのは基本的な生き残り戦略でもあり、そこからアイデンティーも発生するが、だからと言って「意志や指向」が主体であると言い切ることもできないだろう。
なぜなら、無意識下に蓄積された知識や経験の総体として、意志が生まれるとすれば、それらは概ね外界との関係性によって生成されているといえる。
環境、言語、各種メディアの情報など、私たちが「私の意志」だと思っていることの多くは後天的に作れた幻想であるといえるかも知れない。
そういったエネルギーが自立するためには結局、周囲との関係性が重要になる。関係性が主体のアイデンティティーを確立するのであって、もっと簡単に言えば「つながる」ことでしか、「私」は自立できないという一見すれば相反する状況が生まれる。
もっとわかりやすく書けば、一定の例外(達観)を除いで、人里離れて誰とも会わず誰の助けも借りない生き方は「自立」とは言えないのだろう。