私達は様々な制約の中で生きていて、そのため自由がないと感じる場合もあるだろう。確かに沢山の義務があったり、同調圧力やらなにやらでがんじがらめなのかも知れない。
ただ、それらによって完全にコントロールされているのが自分だと思うのはちょっと単純すぎるだろう。
例えば旅行に行きたいが、忙しくていけないと考えている場合でも、全ての予定をすっ飛ばして旅行に行くこと自体は可能だろう。
そうすればその反動で困ったことになるかも知れないが、それらを忖度するすることで私達は自分のあり方を自分自身で選んでいるとも言えるのだ。
よって、それら決断は自分で下している事となる。(もちろん不可避な出来事は発生するが)
それが基本だという思いがなければ、他者や集団からの圧力で潰されてしまうかも知れないのだが、そういった窮地にある人は案外多いのではないかと思うのだ。
自分の人生を自分で決める。
といった基本的な事が出来ない場合、その人の人生は辛いものとなるかも知れない。それと同時に何でもかんでも問題を他者に求めるということにもなり、他者の評価が一番の行動原理となる。
ただ先にも書いたが、他者の評価基準ほど当てにならないものはない。それ自体相対的なものであって、時代や環境によっても左右されるわけで、もしかするとその基準の中には、国家だったり、企業だったりの誘導があるのかも知れない。というか、間違いなくそれらは存在している。それ自体が悪ではないが、その問題に関して正しい判断をするためには、やはり個人としての倫理観や価値観を確立するしか無いだろう。
それは他者の価値観をうのみにするのとは違い、少しばかり努力も必要となる。
様々なことに関しての洞察が重要だろうし、色々な経験と失敗を重ねなければ自分のものにはならない。
その上で、他者の価値観と自分の価値観の間にたって、それらのバランスを取る事となる。実質的に正しい答えというものは無い。それら相互作用の中でどう決断したのかがその人を形作るのだ。