今日は元生徒でLGBT(性的少数者)の友人が遊びに来た。
元々日本ではそういった多様性に対して寛容な国民性を持っていたはずだが、帝国主義などの台頭とともに、変化したのではないかと思う。
それらの問題は、戦後も色濃く残り、LGBTに対しての偏見というものは未だ存在している。
それは概ね自分の思っている常識みたいなものに固執するがあまり、自己防衛本能が発動され異質なものを排除するという実に幼い行為に過ぎない。
とはいえ、時代は変わりつつある。ジェンダーの問題は今後も様々な分野で起きるだろうが、それが個人の存在意義より優先されるというのは本末転倒。
若年層の間では先に書いたBLなども含め、徐々にそういったあり方に関して容認する方向に変化しているだろう。それはすなわち私達自身のあり方を容認することになる。
つまり、私達自身のあり方も千差万別であって、他者のあり方を否定するというのはそのまま自己否定に繋がるという事実を自覚すべきだろう。
それらは、決してジェンダーだけの問題ではない。
物事のあり方の多様性はその存在そのものを強くするのであって、それを否定すれば徐々にジリ貧になっていく。つまりは、社会構造であれ企業であれ同じなのだ。
写真撮影:2018/03/03 阿蘇中岳ロープウェー支柱