現在 Facebook のプロフィール写真で続けているコラージュの元アイデアがこの写真で、iPhoneのアプリで顔の挿げ替えをやっている。
すでにそのアプリは使っていないので名前も忘れてしまったが、この10年前のアプリでできていたことを動画で行う技術のことをディープフェイクと呼ぶ。
本来、映画の吹き替えなどに対応するための技術であったが、それらはまたたく間に一般ユーザが使えるレベルになって様々な弊害も生まれている。ディープフェイクポルノなどもその一つだろう。
私達の生活は現実世界を基本としているがそこにバーチャルなネット空間が侵食してい、その境目はどんどん曖昧になっているのも確かだろう。
ま、現実もまた幻みたいなものだとは先人が口を揃えていっているので、リアルもフェイクもそこに価値があれば存在できる。
つまりは、我々自身の見る世界が世界なのであって、その視点の持ち方がより重要な世界になってきているということだろう。多角的視点を意識して対象物を捉えることができなければ、どんどん偏った方向に向かい、自らネガティブな世界にハマっていくことになる。
すべてのものは相対的に価値が決まっていく。
このため、対象物をどう価値付けるかも各自に委ねられているといえる。そこでの価値観はその人全てに影響を与えるため、それ自体がその人を形作ると言えるだろう。その人の人格自体も価値観から生まれる。
例えば道義的倫理観を重要視すればそういった人格になるだろうし、自由を重要視すれば、奔放な人生を送ることになるかも知れない。
多くは自分の性格が価値観を決めているように感じるかも知れないが、環境に与えられた価値観が多くを決めていると思ったほうがいい。環境が変われば人格も変わる。このため、我々は案外皆同じような基盤を持っているはずだ、それが違う人格になっていく要因の多くが環境である可能性が高いと考える。