自己評価の不適正について

自己評価の不適正について

先程掲載した「フリーランスの作り方」を再読した。我ながら面白い。

結局の所何かになりたいと思ってなにかに成ったのではない。やりたいことがあってその結果成ってしまったという感じだ。以前にも書いたと思うが、子どもたちに「〇〇になりなさい」という言い方をするのは控えたほうがいいだろう。

公務員になりなさい、学校の先生になりなさい、医者になりなさい・・・すべてNGだ。なぜなら、何かに成るのは結果にすぎないが、その結果を絶対的な目標と思い違いをする可能性が高いからだ。

つまり、子どもたちに色んな事を教えたいと思った人がいるとする。その結果教師を目標にするのであればOK。しかし、「子どもたちに教えたい」のほうが重要だと認識できていれば、教師だけがその目標でないことも分かるはずだ。様々な選択肢がある。

塾の講師、保育士、もっともっと沢山の可能性が出てくる。

しかし、教師に成る事が夢だと考えてしまうと、そこに行きつけなかった場合、自信を失うことになるだろう。そうして自分を敗北者として捉えてしまうかも知れない。

それは自分自身を縛り、自らの可能性を潰すことにほかならない。

自分の能力を自己評価してはいけない。評価というのは他者がするものだ。評価から自由であるべきだろう。

もちろん、自己分析は重要だ。自分を分析しその内容をもって自分のやり方を決めていく。しかし、自己評価はしない。私は私を突き放す。

もし、私が自己評価にこだわっていたら音楽なんてできなかったし、講師の仕事もできなかっただろう。確かに私は偉大な音楽家と比べたらクソみたいな曲しか作れない。それは分析して分かっている。

しかし、だから駄目だとは考えない。なぜなら音楽が好きだから、やりたいからやっているだけなのだ。いい評価をいただければそれはそれで嬉しいが、駄目でも構わない。

そうやって、作り続けることで少しでもレベルは向上するし、届かないレベルがあるからといって落胆することもない。要はその行程をいかに楽しめるかだ。


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