社会を動かすのには多元的方法論のバランスが重要になってくる。「理論」と「思い」このどちらが欠けても動かないのが社会だろう。
人間の思いというものは理屈を超えてなにかに影響を与える事もできるが、そこに理論が組み合わされれれば効率が高くなる。非効率であっても、「思い」が強ければ動かすことは出来るかもしれない。
また、理論が正しければそれに沿ってその発現のもととなる因子を撒けば反応が始まるが、それを継続させるのは結局「思い」にほかならない。
それらのエネルギーを継続させるためにはその中心軸となる理論としてのイデオロギーだったりコンセプトも必要だが、最終的にはエネルギーを生み出しその方向づけを行える人間の存在が重要になっってくる。こういった種類のエネルギーは「人」からしか発生しないとも言えるだろう。
つまりはカリスマ的存在だ。
理論は人が考え体系化した仕組みだが、そういった秩序と本来的に存在しているカオスは共存している。そしてやがてはエントロピーの海に飲み込まれていくのが基本。
アインシュタインは不確定性原理へ反論で「神はサイコロを振らない」と言ったが、現代の素粒子論では存在そのものの不確定性が決定づけられており、それらを識ってもアインシュタインはもそう言い続けていただろうか?
写真撮影:2013年 @明石市