以前にも書いたと思うのですが、私たちは心の傷によって、多くの不幸を引き寄せます。
それらの問題に対して、私という存在の実体は空であるというのが仏教的概念ですし、キリスト教的にはそういった罪をイエスが負ってくれることで、回避できるという考え方で対処することになります。(すみません。すごく乱暴な書き方ですので、あまり正しい説明ではないです)
そういった考え方で共通するのは、私という命自体を私自身が作ったのではないという事実だと思っています。
つまり、私は何者かの他者によって命を与えられたと考えるべきだと言う事になります。
それが神という概念だったり宇宙とか自然とかでも良いわけですが、重要なのは
「我々生命の主体となるものは与えられたものであって、その実体は我々自身の手によって傷つけることすらできないのではないか」と、言うことになります。
それを観念的にも体験的にも理解できると、多くの場合幸せに近づく事ができるのではないかと考えているわけです。