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胆石で入院した

胆石で入院した

やったー!
強制休暇取れました。
胆管結石でちょっとだけ入院しまーす!きれいな看護婦さんとお話出来てうれしい。


おはようございます。いやあ昨日はよく眠れました。普段寝ている事務所のマットより病院のベットの方が寝やすいです。

それに病室から朝日も見ることが出来て健康的。普段の部屋は窓が外に向かっていないので閉塞感があります、この病院高台だし、眼下の緑がきれい。

しかし、この時期入院というのはベストタイミングでした。

東京での新型コロナ対策のプロジェクトが立ち上がり、概ねの方向性が固まった時期であり、緊急事態宣言によって学校関連が休校となっている今、それらに迷惑かけることもありません。

世の中はゴールデンウイークのさ中ですが、今年のゴールデンウイークは例年とは違います。

徐々に新型コロナウィルスの実情が分かりつつあり、インフルと大して違わないじゃんとか、いやいや、致死率高いよとか、生物兵器かもとか、様々な情報がある中、それらを整理する時期かもしれません。

そな中で一つ分かったのは、こういった感染症に対してのどのようんリスクが存在して、どのように対処できるかの実態です。

いうなれば今後のシミュレーションとしても非常に有益であると思われます。もちろん今回の件で罹患されたり、被害を受けている皆さんにおいてはそれどころではないでしょうが。

今回は多くの場面で「強制リセット」と呼べる状況が生まれます。色んな業種の再構築や再編さん。ぞれとともに意識の在り方も問われることになるでしょう。


今回の入院に関して少し説明しておこう。今回は江戸時代の人が言うところの「持病の癪(しゃく)にさわった」という事になる。

簡単に言えば胆のうの中にある胆石が胆管に詰まって激痛を伴った症状がでて入院したということ。

これら胆石や腎臓結石などの経験がある方はご存じだろうが、とにかく痛いので、症状がでれば仕事はできない。しかし、症状が治まればまったくもって普通の状態に復帰する。

したがって入院以降全く普通の状態で過ごしているが昨日胆管の通りをよくするためのチューブを胃カメラで挿入する措置がおこなわれ、それ以降も病状は安定している。

しかしながら胆のうにはまだザクザク石が入っているらしく、最終的には切除の手術が必要だろうとのこと。これは今後の経過と合わせて判断することになるが、今回の入院予定は最大で5月4日までとのこと。

概ねの費用は21万円という告知があった。(保険や何やらで実質的な支払いは相当少なくなる)

時期的にはちょうど都合のいい時期に入院できたのではあるが、それでも色々な仕事関連の皆様にご迷惑かけてしまい申し訳ない。

東京チームとやっている飲食店救済プロジェクトも、概要が固まりつつあり、それらのまとめと実践に入る時期。こちらもちょっとストップ気味で残念だが、何とかなるだろう。


さてさて、これまた予想通り、連休明けに緊急事態宣言が解除される可能性は低く、学校関係もさらに開校を先延ばしにしなくてはいけない状況になってきた。

それではいつまで続くのか・・単なる感でいえば5月いっぱいかなぁと漠然と思っている。その前に段階的な解除が始まる可能性もあるだろうが、もし、6月までとなると、その被害たるや甚大なものになるだろう。

しかし、ここにきて学校の学期開始を9月にするという案も出てきており(これは海外の多くの学期開始時期と合わせるという部分が大きい)一気にその形になる可能性も否めない。

この動けない時期にそういった学校内の様々な体制を変更し、先に進めることができれば生き残っていける可能性も高いが、それができない組織であれば相当に後退してしまうかも知れない。

このような意味でも今回の問題は社会構造や組織構造、そして意識構造の再構築を余儀なくされるものだ。

ほんと、胆石で入院している場合ではない・・。


さて今回の入院と次回の手術に関してこれから実際どの程度の金額が必要となるのか全部書いてみようと思う。

まずは今回の検査入院と内視鏡的逆行性胆管膵管造影(ERCP)を用いた検査及び治療・・これは簡単に言うと胃カメラを使って胆管にストロー状のものを入れ、胆管に胆石が詰まるのを防止する措置だ。

それ以外にもレントゲンやCTなどによって撮影が何度か行われ、原因を調べる事によって胆石であることが確定。最終的には手術によって胆石が溜まっている胆嚢を切除するという治療方針が決まったわけだ。

この際、入院後から実際の支払いまでに3回の入院費用概算金額のお知らせという紙が来た。まず、入院直後、退院前日、退院日という順番。

4月27日から5月1日までで、その間大部屋が空いていなかった1日が個室(心電図でエバの指人形して遊んでいた日)だったのでその分6600円が追加され以下の金額。

1.約210,000円
2.161,000円
3.107,000円

この3番目で金額が落ちているのは、高額医療費補助の紙が間に合ったのためだ。2番めはその分の補助はついていない。

従って3番めの金額を現金で本日支払った。

概ね一番最初の金額は多めに見積もっているのだろうと思う。これくらいは掛かる可能性があるから準備してねという意味もあるはず。そのうえで実質的にはそれを下回れば患者としても納得できるだろう。


さて、一昨日はラジオリンカーンの収録日だったが、昼ごろからまたもや腹痛。随分我慢したが、これは無理だなと判断して、救急外来へ。

点滴で痛み止めを入れてもらうと嘘みたいに平静に戻ったのだが、薬が切れれば動けなくなることは間違いない。

それでも入院までは必要ないという事で、夜には自宅に戻った。

その影響もあってか、昨日は一日動けずほぼ寝ていたが、やっと復活した。

むかし、内蔵を傷めていた時、今と同じように何もできないで毎日を過ごすという体験をした。そのため、どこまで動けるのかは概ね理解できるが、そのときに一番きつかったのは、体力よりも気力が失われるということだ。

やりたいことがあってもそれができない。

その状態を経験したことで、何事にも少し、前のめりで対峙するようになった。やりすぎくらいで丁度いい。

それまでは、自意識過剰で、人前に出ることが苦手だったが、そこから180度変わったといえる。そして結局それは、私の人生を豊かにしてくれた。

ネガティブな体験というのはその受け止め方で、成長の糧になる。それは、多くの場合当てはまるのだが、その渦中にいてそれを客観視するのは難しい。

しかし、やはりどんな場面でも、希望というものは存在するのだ。


今日の検査は待ち時間が長いのがわかっていたので、一人ベッドで遊ぶ方法を考えた。

それで、頭の中だけで音楽を聞けないかと考えた。つまり、何もない状態で想像だけで頭の中に音楽を流すことが可能か?

しかし、これが思いの外難しい。

ぱっと思いついたのが、「ムーンリーパー」「My Favorite Things」「 Let Me Sing You A Love Letter」となぜか3拍子の曲・・まこれは個人的嗜好がそうさせたとして。

当然テクノなどのダンス系は再現できない。

それにメインメロディーは脳内で再現できても、伴奏の詳細が鳴ってくれない。非常に単純化されたエッセンス的な音しか脳内では流れないのだ。

ドラムの構成だったりベースの音圧だったり、シンセのきらびやかさみたいなものが想像では再現できない。

当初はもう少し上手に再現できるのではないと思っていたが無理だった。これができればiPod要らなくなるのに。

もちろんこの想像力には個人差があるはずだ。

よって人によっては、詳細な音のアンサンブルまでも、想像の中で再現できるかもしれないし、そういった才能があれば音楽そのものをもっと楽しめるかも知れない。

頭の中で1曲ほぼちゃんと最後まで再現できる人ってどのくらいいるのかしら?できる人がいたら教えてほしい。


前回、緊急外来に来た時、隣のベットに怪我をした小学生らしき男の子がいた。(カーテンの間仕切りで見えない)何かの事故で肋骨を傷めたらしい。その子がずっと「手術は嫌だ~!」と叫び続けていた。

看護婦さんが「大丈夫。すぐに終わるから。」お母さんが「手術しないとずっと痛いままでしょ」などとなだめているが一向に言うことを聞かずに叫び続けている。

「手術はいやだ」
「痛くしない大丈夫」
「でもいやだ!手術はしない!」
「手術しないと家に戻れないでしょう!」
「手術は嫌だぁ!」
「ポケモンカード買ってあげるから!」と、

手を変え品を変え説得を試みているのだがすべて失敗に終わっている。ここで思った。

{この子は漠然とした「手術」というイメージに恐怖を感じているのだからもっと説明してあげないと・・}

数十分そういった問答が続きやっとそれに気づいたお母さんが言葉を変えた。

「どうして手術が怖いの?」
「だって切るんでしょ」

という話をキッカケに子供の心配を一つずつ取り除いていく。

これでやっとその子も少し安心できたようだ。

子供には説明してもわからないと思っていること・・実はそうではないことが多いはず。言い方を変えわかりやすく説明すれば理解できるはず。

それはとても大事なことだ。

何しろ得体の知れない恐怖というのが一番恐ろしいのだから。


今日は巨大な電子レンジみたいなものに入った。MRIと呼ばれる磁気を利用した撮像システムだが、デザインは「2001年宇宙の旅」の内装みたいだ。

その他CTにしても、白を基本としてアール(曲線)でデザインされている医療機器は多い。それ自体は清潔感があり、有機的で、SF的だ。

しかし、先に挙げた「2001年宇宙の旅」を知っている私としてはその奥にいるAIのHALの存在を想像し、多少不気味でもあったりする。

金属を身に着けていないことを何度も確かめられ、白いベットの上に横たわると、色々処置されてチューブ状の測定器の中に入っていく。

MRIはその機能上、測定時に結構大きな音が出る。それ以外にも、なにかのぶつかるようなノイズ音が定期的に出ていたりして、真っ白な清潔感のある部屋との違和感が大きい。

撮影時には更にいろんな音がする。

グガガッガッガガガ グギ、ッガガガガガガガ。

それを和らげるために被験者にはヘッドホンが渡されオルゴール的BGMが流れてる。概ねビートルズの曲だった。そこにオペレーターの声が被さり、撮影の指示が出る。

「はい、息をすってぇー、はい、吐いてー、しばらく止めます。はい、楽にしてぇー」

最初、この「楽にして」というのがわからず、息止めたまま体の力を抜いただけだったが・・あ、息もしていいんだと途中で理解して普通に呼吸する。

撮影には20分程度かかる。このチューブの中に20分入っているというのに耐えられないという人も居るらしく右手には、エマージェンシコールのボタンを握らされている。

それは確かに異次元的体験なのであって、その非日常を不快だと感じるのはまともな感性なのかも知れない。


今日は再度レントゲン検査を受ける指示が有り先ほど撮影した。胆管結石の対処の為に一時的に胆管に挿入されている筈の器具がもしかすると脱落しているかもしれないのでその確認の為だ。

確かに昨日まであった右脇腹の痛みが昨日の昼からずいぶん減った。それは痛みと言うより違和感だったので、それがなくなったと言う事は脱落していてもおかしくはない。

CTでの診察かと思っていたがレントゲンという事でCTとレントゲンの違いを調べてみた。両方とも放射線を使って結像させる方式だが、レントゲンは二次元的CTは3次元的結果が得られる。

しかしそのためもあってCTは被爆量も大きく費用も高価になる。その為今でもレントゲン写真と呼ばれる方式も利用されているとのことだ。

今日の診断で手術になどが決定するはずだが、まだはっきりした時期が分かっていない。

今日は朝から気持ち良い空気で、春から夏への移り変わりを予感させるようだ。

コロナウィルスの問題がなければ、学校も新学期で本格的な授業が始まっている。今年はまた特別な年になったよなぁ。


体力が戻るにつけ昼間寝てしまうと夜、眼が覚めてしまい眠れなくなるものだ。大学生の時に長期入院した時は馴染みの看護婦さんと話したりしていたものだが、大きな病院ともなれば入れ替わり立ち代わり色んな看護婦さんが来るので、相手を覚える暇がない。

あ、看護婦ではなく看護師と呼ぶべきか。

今日はラジオリンカーンに電話にて参加したが、正直それまでは脳があまり動いていなかった。番組に参加すると決めて準備をしていく上で徐々にそういった緊張感も含め脳の機能が上昇していくのが分かる。

多分我々はそう言った脳の機能をいつも充分に使いこなしているのではない。状況に合わせて馬鹿にもお利口にも成れるのでは無いかと思っている。

要はその切り替え方法を知らないだけなのでは無いかと思うのだ。何故なら私自身がやっている事も、ともすれば高度な仕事だったりするのだが、だからと言って自分が頭いいと思った事はない。

脳の機能、記憶力、理解力、その他から冷静に分析すれば、せいぜい中の上程度だろう。

そうであるにも関わらず、色んな事が出来たり出来ると思われていると言う事は他人とどこが違うのか?

これはいつも自分の中に有る疑問だ。


おはようございます。徐々に体力も回復しつつある現在睡眠などにも変化が出て来ています。どうしても1時間から2時間の分割睡眠が基本だったのに対して、少しまとまって寝ることが出来る様になって来ました。

それに伴って、思考形態も単純な生存欲求から徐々に高度なイメージなどが理解できる様になって来ます。

数日前コロナ被害対策のレポートを分析してまとめる作業をやろうと思いましたが全く頭に入って来ませんでした。

内容は普通に理解できるのにそれをイメージとして概念化しようとすると出来ないのです。

これは面白い体験でした。

自分が普段何も考えずやっていると思っている行為が実は結構高度な思考活動だと言う事になります。事象を積み重ねそれを体系化し単純化する。

多分これはできる人とできない人がいます。

この概念化が苦手なひとにとっては、マニュアルが必須です。それがないと何も動かせない。それに対して概念化ができるひとにとっては、出来ない人の気持ちが分かりにくい。

「えっつ、なんでこんなことすらわからないのだろう」と思ってしまうのでしょう。

今後歳をとって私もそう言った能力が消えゆく時期が来ます。その時パニックにならない様にしないとなと思いました。


明日の血液検査の結果如何で土曜日の退院が決まる予定だが、まぁ問題はなさそうだ。

そんな中、明日は東京のメンバーと行政関連の皆さんとでのビデオ会議などが数件セッティングされており、すでに業務再開に近いスケジュールだ。

今日の夜はそれらの準備もあってMicrosoftのTeamesの設定を友人と確認。来週行われる予定のとある政策勉強会みたいなものに参加する予定も有り、事前の準備も大事だ。

元来政治には全く興味が無いが、誰かの為に何かをしたいと思うと多少は首を突っ込まなくてはいけない。でも政治家になる気は無いので、あくまでも距離感持ちつつ動いている。

と言うか、色々動き出せば色んな仕組みが見えてきて、それまでは別世界と思っていた世界が案外狭い範囲で動いていたりするのが分かってくる。

それはまぁ、権力とか利権とか強大な力によって牛耳られているのと同時に、案外雰囲気とか偶然と言った物にも大きく影響を受けている。

だから我々がこの有限の肉体や時間を使ってできることは確かに有限でもあるが無限の可能性も持っていると言うことになる。

さてさて、これからまたどんな地平線が見えるのか?私は何をしてどこに行くのか?面白くなってきた所だ。


さて、今朝がたの血液検査の結果問題なしと判断されたようで明日の午前中には退院できることとなった。これにて胆石は一件落着である。

ま、以前は腎臓結石もやっているのでまた石に悩まされる可能性はないとは言えないがそれでも、しばらくは痛みから解放されることとなるだろう。

何らかの痛みがあるとやはり物事を考えられなくなって仕事もできない・・・当たり前である。

そういった時間が突然やってきてすべての力を奪い去っていくわけだ。もちろん疝痛にのたうち回る状態というのも災難ではあるが、それ以上に不快なのがそういった状況が続くことですべてに対して無気力と化すことだ。

こちらの方が深刻なのである。

それは生きる希望を奪い去っていくし、ネガティブな未来しか見えなくなりすべてどうでもよくなる。

これは多分、壮年性うつ病とかその他の精神的疾患とも共通する苦しみだろう。

私は物理的痛みを長時間味わったことでそうなるわけだが、精神的危機をもともと抱えている人にとっては、そんな引き金がなくともその地獄にはまっていくのだろうと思う。

当然、そういった地獄も自ら作り出した幻想の館にあるのであって、現実に確実に実態として存在しているのではない。それを理論的に理解したとしても、作り出した私はそれをやはり現実として認識するので、地獄は実在化するわけだ。

あ、ちなみに、私の場合そんな感覚になったとしてもそう長くは続かない。色んな意味で振り子のように振れているからこそ気が触れるという形にはならない。

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