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「生きにくさ」について

「生きにくさ」について

どうも最近「生きにくさ」みたいな相談をよく受ける。そこまで行かなくても「普通に暮らす」ことや「普通に仕事する」といった基本的な営みからこぼれてしまう人が増えているような気がしてならない。

昔であればどうにかなったことが今ではどうにもならない。なんのために仕事して、なんのために生きているのかが分からない。

「なんのために生きているか」なんで分からなくて当然でもあると思うが、それでも昔は何とかなっていた。

そこまで考えなくてもそれぞれがそれぞれの尊厳を意識し、夢を持ったり出来た。しかし、システム化された社会の中で自己実現しなければ無意味であると考え、ちょっとしたつまずきでも、自己否定に繋がると感じる。

評価され、生産性を問われ、出来ない事を責められる。

これまで積み上げられた文明が、そのまま重しとなって個人が背負っている社会。ちょっとおかしいかも知れない。

言いたいことを言おうものなら常識を疑われ、問題の原因を知ろうとしても止められる。「関わらないでください」それを周りが強要するのだ。

個人そのものが変わったとは思わない。人間はそれほど進化していない。となるとやはり社会に問題が生じていると考えるべきだろう。

心に敏感であれば、その中で生きること自体が困難になるのはあり得ることだ。何も感じない人もいるだろう。毎日の食事に飢えることもない。そこそこ幸せだし、これまで通りにやっていけるはずと考えている。

そんな人にとって、「生きにくさ」を持つ人は病気だからと納得する。

しかし果たしてそうだろうか?「生きにくさ」を持つ人と自分は違うと思うのは想像力の欠如以外なにものでもないのではないか?

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